大原 三千院 御懺法講 01 [寺院]
毎年5月30日に京都大原三千院で、「御懺法講」が開催されます。
この御懺法講とは宸殿において門主が導師を勤め、魚山一山(いっさん)と
山門延暦寺の僧侶によってとり行われる三千院の重要な行事です。
御懺法講は保元2年(1157年)に後白河法皇が宮中の行事として
仁寿殿で始められたもの(宮中御懺法講)で、江戸時代までは宮中で
行われていました。御懺法講とは法華経を読誦し、
六根(眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚器官のこと)を懺悔し、
罪障を消滅して九品往生(くほんおうじょう)を祈るという行法です。
法華懺法(朝題目)と例時作法(夕念仏)を棒読みせず声明の博士(譜)を
つけて唱え、雅楽が演奏されます。
平安時代から伝えられている歴史的にも貴重な行事です。
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大阪 寺めぐり 03 [寺院]
四天王寺の続きです。
中心伽藍に参りましょう。
南から北へ中門・五重塔・金堂・講堂が一直線に並ぶ「四天王寺式伽藍配置」です。
第二次世界大戦で焼失し、昭和三八年に鉄筋コンクリートで建築されています。
まずは五重塔。
聖徳太子創建の時、六道利救の悲願を込めて、塔の礎石心柱の中に仏舎利六粒と自らの髻髪(きっぱつ)六毛を納められたので、この塔を「六道利救の塔」といいます。
この構図で、五重塔・金堂・講堂が一直線に並んでいるのがよく解ります。
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伊丹に向かう飛行機がかなり低空ですぐそばを飛んでいます。
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五重塔の九輪をシルエットで。
とても綺麗な造形ですね。
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六時礼讃堂。 中心伽藍の背後にあり亀の池を前に配しています。
一般の寺院の本堂にあたる建物です。
境内中央に位置する雄大なお堂で、昼夜6回にわたって諸礼讃をするところから
六時礼讃堂の名があります。薬師如来・四天王等をお祀りしており、
回向(供養)、納骨等を行う当寺の中心道場でもあります
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石舞台。 六時礼讃堂の前にあります。
亀の池の上に架かっている石橋に組まれた舞台で、
毎年4月22日に聖徳太子を偲んで行われる聖霊会舞楽大法要の際には、
古来よりの作法にのっとり舞台上で舞楽が舞われます
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池上本門寺 多宝塔 [寺院]
先日、東京都大田区池上ある日蓮宗の大本山・本門寺の多宝塔(宝塔)の復元修復が完了しました。
この多宝塔は、本門寺第47世輪成院日教が日蓮聖人代550遠忌報恩事業の眼目として、日蓮上人の御荼毘所跡に建立しました。
江戸時代の文政11年(1828)に上棟した。
平成19年より始まった今回の改修では、多宝塔内部に安置されていた小宝塔の解体修理で、細部にいたるまで綿密な調査を行ない、材料・工法・意匠など技法的な面でも往時の姿の復元しました。
特に外部の塗装は研究を重ね、建立当初の漆の色あいを再現しています。
総高は約17メートル。多宝塔としては、他に例を見ない規模です。
多宝塔は東京都の有形文化財に指定されており、昭和48年に都の補助事業で改修が行われましたが、
不十分な箇所もあり、小宝塔に奉安されていた日蓮聖人の御真骨は御廟所に遷されました。
今回の改修では、日蓮聖人が所持した水晶製の念珠を奉安しています。
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この多宝塔は、本門寺第47世輪成院日教が日蓮聖人代550遠忌報恩事業の眼目として、日蓮上人の御荼毘所跡に建立しました。
江戸時代の文政11年(1828)に上棟した。
平成19年より始まった今回の改修では、多宝塔内部に安置されていた小宝塔の解体修理で、細部にいたるまで綿密な調査を行ない、材料・工法・意匠など技法的な面でも往時の姿の復元しました。
特に外部の塗装は研究を重ね、建立当初の漆の色あいを再現しています。
総高は約17メートル。多宝塔としては、他に例を見ない規模です。
多宝塔は東京都の有形文化財に指定されており、昭和48年に都の補助事業で改修が行われましたが、
不十分な箇所もあり、小宝塔に奉安されていた日蓮聖人の御真骨は御廟所に遷されました。
今回の改修では、日蓮聖人が所持した水晶製の念珠を奉安しています。
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堺 妙国寺 [寺院]
今回は、大阪府堺市堺区にある妙國寺です。
開基檀越は三好之康。開基上人仏心院日珖。
「正親天皇の永禄5年(1562年に、当時四国の阿波、讃岐より兵を起こして、畿内を支配していた三好家四兄弟の一人である三好豊前守之康(義賢実休)公が、大蘇鉄を含む東西三丁南北五丁の土地を、開山である日珖上人に寄進され、日珖上人の父である堺の豪商であった油屋伊達常言、兄の常祐が協力して此処に常塔伽藍を建立寄進して、広普山妙國寺と称し、皇室より勅願所と定められました。
寺名は日祝の号である「妙國院」による。 元亀2 年(1571 年)に本堂竣工。天正11年(1583年)までに広大な寺地に14の坊、南北の学問所などを備えた伽藍が円成する。
元和元年(1615年)の大坂夏の陣、大阪落城に際し豊臣の将大野道犬は、徳川家康妙國寺にありと聞き、乱入諸堂に火を放ち全山灰陣燼と化す。
その後、寛永5 年(1628)本堂再建、続いて祖師堂、三重塔、客殿、方丈、勅使門、鐘楼、経蔵、書院、徳正殿、その他支院等旧観を再現した。
しかし、第2次大戦の末、昭和20年7月、堺大空襲による戦火で再び大半を焼失した。昭和48年、本堂等再建し現在に至る。
現住は51世岡部日聡貫首(大阪市海宝寺より晋山)。堺法縁縁頭寺。」
ウィキィペディアより
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国指定天然記念物になっている蘇鉄です。
樹齢1100年以上と云われ、自生としての北限となっています。
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また妙國寺は、幕末の堺事件の場となりました。
堺事件をご存じでしょうか?
慶応4年にフランス軍艦より上陸した100名余の水兵が市内で傍若無人の行動を起こし、警備の土佐藩士が両者銃撃戦の後、水兵13名の死傷者を出した事件です。
その結果フランスに賠償金を払い藩士20名の切腹となりました。
その切腹がこの妙國寺で行われたのです。 フランス人立会人のもと切腹が行われましたが12人目で見るに堪えなくなり残りは流罪となったのです。
その石碑が、
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門前の街道にも石碑があります。
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妙國寺の角辻の石碑。
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開基檀越は三好之康。開基上人仏心院日珖。
「正親天皇の永禄5年(1562年に、当時四国の阿波、讃岐より兵を起こして、畿内を支配していた三好家四兄弟の一人である三好豊前守之康(義賢実休)公が、大蘇鉄を含む東西三丁南北五丁の土地を、開山である日珖上人に寄進され、日珖上人の父である堺の豪商であった油屋伊達常言、兄の常祐が協力して此処に常塔伽藍を建立寄進して、広普山妙國寺と称し、皇室より勅願所と定められました。
寺名は日祝の号である「妙國院」による。 元亀2 年(1571 年)に本堂竣工。天正11年(1583年)までに広大な寺地に14の坊、南北の学問所などを備えた伽藍が円成する。
元和元年(1615年)の大坂夏の陣、大阪落城に際し豊臣の将大野道犬は、徳川家康妙國寺にありと聞き、乱入諸堂に火を放ち全山灰陣燼と化す。
その後、寛永5 年(1628)本堂再建、続いて祖師堂、三重塔、客殿、方丈、勅使門、鐘楼、経蔵、書院、徳正殿、その他支院等旧観を再現した。
しかし、第2次大戦の末、昭和20年7月、堺大空襲による戦火で再び大半を焼失した。昭和48年、本堂等再建し現在に至る。
現住は51世岡部日聡貫首(大阪市海宝寺より晋山)。堺法縁縁頭寺。」
ウィキィペディアより
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国指定天然記念物になっている蘇鉄です。
樹齢1100年以上と云われ、自生としての北限となっています。
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また妙國寺は、幕末の堺事件の場となりました。
堺事件をご存じでしょうか?
慶応4年にフランス軍艦より上陸した100名余の水兵が市内で傍若無人の行動を起こし、警備の土佐藩士が両者銃撃戦の後、水兵13名の死傷者を出した事件です。
その結果フランスに賠償金を払い藩士20名の切腹となりました。
その切腹がこの妙國寺で行われたのです。 フランス人立会人のもと切腹が行われましたが12人目で見るに堪えなくなり残りは流罪となったのです。
その石碑が、
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門前の街道にも石碑があります。
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妙國寺の角辻の石碑。
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